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2017年 教会目標

「主に仕える教会」

ヨハネによる福音書12章26節

◆標語聖句
「わたしに仕えようとする者は、私に従え。そうすれば、わたしのいる所に、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」


〜主に愛され、地域に愛される100名教会を目指して〜

日本キリスト改革派 銚子栄光教会

〒288−0861 銚子市芦崎町932−1
TEL/FAX 0479−33−4441
日本キリスト改革派銚子栄光教会
牧師   小林 義信



最新トピックス

2010年05月30日

入門講座

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  韓国との文化交流の一環として韓国語入門講座を開講しています。
  
  
日時: 毎月第一・第三月曜日   午後7時より
  場所: 銚子栄光教会(萌保育園) 
  講師: 韓 男鎭 先生
  授業料は 1レッスン(60分) 500円

  韓流文化に興味ある方はどなたでもご参加下さい。
  年齢・性別・経験 不問
  詳細は、小林義信 牧師までご連絡下さい。
   0479−33−4440
posted by 銚子栄光教会 at 21:15 | 千葉 ☀ | 韓国語講座

2009年03月31日

ウェストミンスター小教理問答 問107

問  主の祈りの結びは、私達に何を教えていますか。
答  (国と力と栄とは、限りなく、汝のものなればなり、アーメン )と言う主の祈りの結びが私達に
   教えている事は、私達が祈祷における励ましを神だけから受けていると言う事、また祈祷に
   おいて、神に国と力と栄光とを帰して、神を讃美する事です。また、自分の願いと聞かれる
   確信とを証言して、私達は「アーメン」と言うのです。

解説
  主の祈りはマタイによる福音書6章9〜13節に記されていますが、この結びの言葉はありません。
  しかし、後の多くの聖書写本に書き加えられております。教会では、この結びの言葉を付け加えて
  主の祈りをいのったので、それが習慣となりました。「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」
  と言う意味は、一つには神の力の豊かさ、強さを受け入れ、祈りが実現するようにと確信を持つ
  事でした。二つは、人間の力ではなく、神の力に信頼を置き、日々の試練も、悲しみも、誘惑も、
  憂いも、また喜びもみな神から来る事を覚え、神への信頼を心から告白する為でありました。
  そして、「この祈りは、私の真実な思いからです」との意味で、「アーメン」と、言うのです。
posted by 銚子栄光教会 at 16:34 | 千葉 ☁ | ●学び

2009年03月24日

ウェストミンスター小教理問答  問106

問  第6の祈願では、私達は何を祈り求めるのですか。
答  (われ等を試みにあわせず、悪より救い出したまえ)と言う、第6の祈願で私達が祈る事は、
   神が私達の罪を誘惑から守って下さるか、私達が試みられる時に私達を支えて助け出して
   下さるように、と言うことです。

解説
  第6の祈願は、罪に対しての勝利を求める祈りです。そして、私達が罪と戦う決意を持って
  祈るのであります。罪の赦しはキリストの一方的恵みにおいて与えられるものであります。
  そして、この恵みに預かった者は聖霊において、勇気が与えられこの地上のサタンの勢力
  との戦いに勝利しなければなりません。この勝利は、イエスキリストが再臨されるときに、
  完全決着がつき、聖霊において完全に聖められ、神の御国へ入ることが許されるのです。
  この祈りでは、二つのことが祈られています。一つは、罪の誘惑から守って下さる様に。
  二つめは、試みに逢った時には、自己の力を過信するのではなく、謙遜な祈りをすること、
  そして神の助けを求めるのです。
posted by 銚子栄光教会 at 14:06 | 千葉 ☔ | ●学び

2009年03月17日

ウェストミンスター小教理問答 問105

問  第五の祈願では、私達は何を祈り求めるのですか。
答  (われ等に罪を犯す者をわれ等がゆるすごとく、われ等の罪をもゆるしたまえ)と言う、
   第五の祈願で私達が祈る事は、神が、キリストのゆえに、私達のあらゆる罪を一方的に
   ゆるして下さるようにと、言うことです。私達は、神の恵みによって他人を心からゆるせる
   者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されているのです。

解説
  第五の祈願は、罪のゆるしを求める祈りです。どんなに日々の必要を神が満たして下さろうとも、
  罪のゆるしの恵みがなければ私達の生活は、悲惨です。罪のゆるしが無い人は、神の裁きの
  下にあるのです。この罪に対する悔い改がなければ、私達は救われません。これは信仰する人
  の基本的態度であります。罪のゆるしは、神の一方的なゆるしであり私達がそれに対して、何か
  代償を払うのではありません。それは既にイエスキリストが支払って下さっているからです。
  神は人間の善行や功績によってゆるして下さったのではありません。全てイエスキリストの
  十字架上の贖いに於いてです。私達がこの事を知り、信じる時に、他人を裁く思いは消えうせて
  行くのであります。裁き、そしてゆるしは、唯々神の御手に属する業なのであります。

posted by 銚子栄光教会 at 10:32 | 千葉 | ●学び