2008年05月01日
ウェストミンスター小教理問答 問83
答 ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です。
解説
人間は信仰者と言えど、思いと言葉と行いにおいて、神様の戒めを破る罪人です。
問83では、私達が犯す罪の重さに違いがある事を教えています。罪の重さの違いは
二つの点から出てきます。
@ 罪自体の違い: 十戒は盗みや殺人やむさぼりを禁じていました。それらは、みな罪ですが、
むさぼり(隣人のものを欲しがる)よりも、盗みの方が重い罪です。当然、殺人はより重い罪です。
A 加重の有無: 罪を犯す事情や状況によって、同じ種類の罪でも重さに相違があります。
たとえば、貧困の中でつい止むを得ずパンを盗んだ人と、金持ちが貧しい人からパンを強奪する
こととは、同じような罪でも重さに違いが出ます。また大人が、他人に対して非難・中傷することと、
子供がなす悪口とでは違いがあるのは当然です。ですから、この世の生活の中で、私達は次の
ことを注意しなければなりません。
仮に一つの罪を犯してしまったら、直に悔いあらためて重い罪に進まないように身を律する。
また、自分では気の付かない点を忠告してくれる友を持ち、独りよがりな人生を歩まないようにし、
また素直にそれに耳を傾けるようにする。こうして、信仰生活を送るようにしなければなりません。
教会では、重大な罪を犯した人に教育的懲罰を与えます。これは、決して罰を与える事が目的で
はなく、いつも悔い改めに導くものであります。そして、教会の純潔とイエスキリストの名誉を守る
ものであります。
2008年04月22日
ウェストミンスター小教理問答 問82
答 ただの人は、堕落以来、この世では誰も神の戒めを完全には守れず、
日ごとに思いと言葉と行いにおいて破っています。
解説
神に対する人の義務の第一は、道徳律法を守る事でした。それは十戒のうちに要約されて
いました。(問42〜81) 問82〜84までは道徳的義務とは別の義務、つまり信仰生活の
必要と重要性について教えています。本来、人は神から与えられた道徳律法を完全に守る
事が出来ればよいのですが、出来ないので罪の赦しを神から受ける為に、信仰生活を持って
悔い改めをしなければなりません。信仰をしているといっても、この世の生活の中では、私達は
思いと、言葉と、行いによって神様の戒めに背いている事がたくさん起こってきます。
心の中では、いつも隣人に対して羨んだり、軽蔑したり、怒ったり、むさぼりの心を持ったり、
どうみても隣人を愛しているとは言い難いものであります。また手厳しい、批判や悪口、嘘等
を言葉に出してしまいます。そして、神を愛し、人を愛する行いから離れていくのであります。
神は、私達に自分の罪を知り、悔い改め、人生の目的を神の方へ転向するように求めて居られ
ます。そしてイエスキリストのあがないによって救われた民が、喜んで神の民になれるように
待って居られるのです。
2008年04月15日
ウェストミンスター小教理問答 問79〜81
答 第十戒はこれです。「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、
しもべ、はしため(召使の女)、牛、ろば、また全て隣人のものをむさぼってはならない。
問 第十戒では、何が求められていますか。
答 第十戒が求めている事は、私達自身の状態に全く満足する事、それも、隣人とその
すべての所有物とに対して、正しい愛の気持を持って満足する事です。
問 第十戒では、何が禁じられていますか。
答 第十戒が禁じている事は、すべて私達自身の身分に満足せずに隣人の幸せをねたんだり
恨んだりする事、またすべて隣人の所有するどのようなものにでも法外な意向や愛着を寄せる
事です。
解説
第十戒は、むさぼりを禁じています。隣人の持ち物をむさぼる心は、盗み(第八戒)に繋がりますし、
それが高じれば殺人(第六戒)にも繋がり、また隣人の妻をむさぼる心は第七戒違反にもなります。
特にこの十戒は、心の在り方を問題としており、今までの行動や言葉に現れる違反とは違った点
を指摘しています。そして、こころの奥から清く正しく生きる事を求めているものであります。
私達は、神様から自分に相応しいものを与えられています。それは、神様が大きな愛を持って
与えて下さったものであるのでそれに満足して生活せねばなりません。人と比べて見ても、神様の
御心をはかる事は出来ないのです。同時に、イエス様から「己を愛する如く、隣人を愛しなさい」と、
私達は命じられていますから、隣人と共に、悲しい時には悲しみ、うれしい時には喜ぶ、そのような
生活をすべきであります。同時に、私達は自分の生活を良くするために、労働をこなし、神に感謝
して生きていけば、隣人に対するむさぼりの心が起きる事はありません。神の恵みに感謝し、努力
して生きて参りましょう。
2008年03月04日
ウェストミンスター小教理問答 問76〜78
答 第九戒はこれです。「あなたは隣人について、偽証してはならない」
問 第九戒では、何が求められていますか。
答 第九戒が求めている事は、人と人との間の真実と、また私達自身と隣人の名声とを、
保ち、高める事、特に証言する時にそうする事です。
問 第九戒では、何が禁じられていますか。
答 第九戒が禁じている事は、何事であれ、真実を損なう事、あるいは私達自身や、隣人の
名声を傷付ける事です。
解説
第九戒は、偽りの証言の禁止命令です。当時の裁判では証言が特に重んじられていました。
従って、偽りの証言は社会の基盤を揺るがす事でありました。そこで、人の真実を守る事、
人の名声を守る事が、とても大事な事でありました。嘘をつかない事、つまり真実を証言する
事が、求められたのであります。正しい者は、隣人にとって何が本当であるか、何が間違って
いるかを正しく証言しなければなりません。そして、人間生活を送る上にとって、真実をねじ曲げ
たり、嘘をついたりして生きる事は出来ないのであります。時には、自分を有利に運ぶために
人を陥れたり、人の名誉や名声を傷付ける事で、生き延びようとする事は誤りです。
私達は、根拠のない悪口や、噂話を信ずる事無く、真実の目を持って、人を正しく評価するべき
です。そして、相手の言い分をも素直に受け入れる心が必要です。
2008年02月19日
ウェストミンスター小教理問答 問73〜75
答 第八戒はこれです。「あなたは盗んではならない」
問 第八戒では、何が求められていますか。
答 第八戒が求めている事は、私達自身と他人との富や生活状態を
正当に確保し、向上させる事です。
問 第八戒では、何が禁じられていますか。
答 第八戒が禁じている事は、何事であれ私達自身または隣人の
富や生活状態を不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事です。
解説
第八戒は、盗む事を禁じています。これは信仰者の清貧を理想とする生き方を
勧奨する戒めに見えますが、ここでは富や隣人の生活状態を保護する為の戒め
と理解されます。富は神から恵みの一環として与えられるものであり、これは喜び
であります。そして人は神から与えられた賜物を通して、富を得る為に労働をします。
そして得た富から、神様に応分のお返しをしなければなりません。ところが、人は
富を得ると、「むさぼり」と「所有欲」によって、その富を用いて世の貧しい人々の為に
それを還元する事を惜しんでしまい、貪欲の罠に落ち込んでしまうのです。そして、
貪りの思いから、人のものまで欲するようになってしまいます。そして、真の神に
仕える事を忘れ、富の神(マモン)に仕える者となってしまいます。
「あなた方は、神と富とに仕える事はできない」 マタイ6:24 私達は、富至上主義
から離れて、神の忠実な僕としてこの世の富をしっかりと管理せねばならないのです。
2008年02月08日
ウェストミンスター小教理問答 問70〜72
答 第七戒はこれです。「あなたは姦淫してはならない」
問 第七戒では、何が求められていますか。
答 第七戒が求めていることは、心、会話、振る舞いにおいて、私達自身と
隣人の貞潔を守ることです。
問 第七戒では、何が禁じられていますか。
答 第七戒が禁じている事は、すべてのみだらな思い、言葉、行動です。
解説
第七戒は姦淫を禁じています。これは、結婚している者が、別の人と男女の
交わりをする事です。旧約聖書では、姦淫をなした者は男であれ、女であれ、
死刑を宣告されました。理由は、結婚とは神が互いの助け手として男と女を
造られたからです。そして、「二人の者は、一体となるべきである」と、定めら
れたからです。神はこのように夫婦は深い人格的交わりをなすもの、また
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と命令された事を忠実に守らる
者として期待されて居られました。姦淫は、この創造の秩序を破壊するもの
であり、神の恵みを拒否するものでもあります。ですから、この地上に於ける
様々な淫らな行い、誘惑を避けて、思いと、行いと、言葉を慎んで生活をしな
ければならないのです。
2008年01月05日
ウェストミンスター小教理問答 問67〜69
答 第6戒はこれです。「あなたは殺してはならない」
問 第6戒では、何が求められていますか。
答 第6戒が求めている事は、私達自身の命と他人の命を守るために、
あらゆる正当な努力をする事です。
問 第6戒では、何が禁じられていますか。
答 第6戒が禁じている事は、私達自身の命を奪う事、あるいは隣人の命を
不当に奪う事、またその恐れのあるような全ての事です。
解説
この6戒は殺人禁止の戒めです。これは単に殺人をしないという事だけでなく、
人の命を守る為の様々な努力をも命じています。 人の命は次の様な時に
危険にさらされます。
@ 人の悪意やねたみ、悪口
A 病気
B 思い煩い、悲しみ、心の病
C 飢餓、迫害、戦争、環境の悪化
そこで、私達の命を守る努力は全ての社会生活の局面で重要となります。
心の平穏を保つための道徳的努力、社会秩序の維持、医療や福祉政策、
健康管理、教育等々です。同時に、この戒めは、人間尊重の戒めでもあります。
創世記9:6「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神に
かたどって造られたからだ」と、ありますように神の似姿に造られたものを
毀損する事は出来ないのであります。またコリント信徒の手紙T 3:16〜17
「あなた方は、自分が神の神殿であり、神の霊が自分達の内に住んでいる事を、
知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその神殿なのです」
このように神の神殿たるものを毀損するものには神の裁きが伴うのです。
ヨハネの手紙T 3:15〜16「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。全ての人殺しには
永遠の命がとどまっていません。イエスは、私達の為に命を捨てて下さいました。
そのことによって私達は愛を知りました」 このように「人を殺す」対極に、愛があるのです。
この事を知った時に、私達はこの戒めを心から受け入れる事が出来るのであります。
2007年11月01日
ウェストミンスター小教理問答 問63〜66
答 第五戒はこれです。「あなたの父と母を敬え。これはあなたの神、主が賜る地であなたが長く
生きるためである」
問 第五戒では何が求められていますか。
答 第五戒が求めている事は、あらゆる人が目上、目下、対等という色々の地位と関係において
持つ名誉を守り、義務を果たす事です。
問 第五戒では何が禁じられていますか。
答 第五戒が禁じている事は、あらゆる人がその色々の地位と関係において持つ名誉と義務を、
無視したり、それに反する何かを行う事です。
問 第五戒に加えられている理由は、何ですか。
答 第五戒に加えられている理由は、この戒めを守る全ての人に対する長寿と繁栄との約束です。
解説
第五戒は両親への尊敬をはらうことを命じています。人間は本質的尊厳性は皆平等ですが、
神様から与えられている関係があります。親子関係で代表される上下関係、水平関係など
様々ですが、その時々にふさわしい振る舞いをなさねば知性ある人とはいえません。神様は、
ふさわしく対応することを私達に命じておられます。そのふさわしい対応とは、人の名誉を守る事、
人に尊敬を払う事、人としての義務を果たす事であります。当時のイスラエルでは、両親を尊敬
する事とは、家父長制社会においての宗教的権威を守る事でもありましたし、神の御心に従う
事でもありました。そして両親を通して、社会儀礼、善悪の判断、社会的義務等を学んだのです。
そして、両親から独立してもこの関係は神が定められた関係として、守り続けたのであります。
これによって、 「主が賜る土地」での民族の平安と長寿と繁栄が約束されたのであります。しかし、
今日、この関係が乱れ、守られない事において社会規範の崩壊と混乱が目を覆うばかりであり、
人間関係において相手の名誉を守ったり、社会的義務を行使したりする人々がその姿を消しつつ
あります。この結果、どのような未来社会が到来するのか、神のみが知っておられます。
2007年10月04日
ウェストミンスター小教理問答 問60〜62
答 安息日は、次のようにして聖別すべきです。その日は終日きよく休むこと。他の日なら正当な
世俗の職や娯楽さえも止める事。すべての時間を公私の神礼拝を守るのに費やすこと。
但し、必要やむを得ない業とあわれみの業にとられる時間は別です。
問 第四戎では、何が禁じられていますか。
答 第四戎が禁じている事は、求められている義務を怠るか不注意に果たす事、この日を、怠惰
により・それ自体罪である事を犯すことにより・または私達の世俗の職や娯楽を必要もなく
思い語り行う事によって、汚す事です。
問 第四戎に加えられて理由は、なんですか。
答 第四戎に加えられている理由は、神が週の六日を私達自身の職の為に使わせて下さること、
神が第七日には特別の所有権を主張される事、神ご自身が模範を示されたこと、神が安息日
祝福して居られる事です。
解説
この第四戎は、安息日を守ることについての戒めです。旧約の時代は、週の七日目(土曜日)を
安息日としていました。しかし、新約時代になってイエスキリストが週の初めの日(日曜日)に
復活されたので、安息日を日曜日としました。ですから、新約時代の教会は、日曜日を主の日
として、世俗の仕事を離れ、娯楽を行わず、礼拝を守る事と定めたのです。そして、この主の日を
安息日として考えますと、これを聖なる日として、一日を神礼拝に奉げる日となったのです。
コロサイ信徒への手紙 2章16〜17節 「あなた方は、・・・安息日の事で誰にも批評されては
なりません」 とありますように、今日の社会生活の中で公的職務についている信仰者を、律法
と言う名の下に拘束する事はできません。その人にとって、週の中で主を賛美し礼拝出来る日
があれば、その人にとっては正にその日が安息日なのであります。神に対する礼拝は、日曜日
だから祝福され、水曜日だから祝福されないという事はありません。神の御旨は大きく、広いの
であり、イエスキリストがこの地上に来られた時に、古い律法は廃棄されたからであります。
2007年09月10日
ウェストミンスター小教理問答 問57〜59
答 第4戒はこれです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日の間働いてあなたの全ての業をせよ。
七日目はあなたの神、主の安息であるから、何の業をもしてはならない。あなたの息子、娘、しもべ、
はしため、家畜、またあなたの門の内に居る他国の人もそうである。主は、六日のうちに、天と地と海と、
その中の全てのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は、安息日を祝福して聖と
された」
問 第4戒では、何が求められていますか。
答 第4戒で求めている事は、神が御言葉において、はっきりと七日のうち、丸一日をご自身のための
聖安息日にすると指定された通りに、その定めの時を神に対してきよく守る事です。
問 七日の内どの日を、神は週毎の安息日と指定されましたか。
答 神は、世の初めからキリストの復活までは、週の七日を週ごとの安息日と指定されました。
そして、キリストの復活からは週の第一日を世の終わりまで続けるように指定されました。これが、
キリスト教安息日です。
解説
旧約時代は週の七日目(土曜日)が安息日とされました。そして世俗の用事を休み、一日を神礼拝に
用いる事としていましたが、後にイエスキリストが復活された週の始めの日(日曜日)が安息日と指定
されました。初代教会の人々は、日曜日を安息日として労働を休む事ができなかったので、日曜日の
夜に集まったり、早朝に行ったりしていました。こうして日曜礼拝が定着していったのです。現代に於け
る生活は多種・多様であります。まして、公職についている人々は(軍人・警察・消防)日曜日礼拝に
出席する事はできません。だからと言って、律法違反ということではないのであります。一週の中で、
その人に於いて休息を取れる時に、自ら神に礼拝を奉げ、イエスキリストによって救われた喜びを
感謝できる日、それがその人にとって安息日と理解すればよいでありましょう。
2007年07月20日
ウェストミンスター小教理問答 問53〜56
答 第三戒はこれです。「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主は、み名をみだりに唱える者を、罰しないでは置かないであろう」
問 第三戒では、何が求められていますか。
答 第三戒が求めていることは、神の御名、称号、属性、規定、御言葉、御業をきよく敬虔に
用いることです。
問 第三戒では、何が禁じられていますか。
答 第三戒が禁じていることは、神がご自身を知らせるのに用いておられるどんなものをも、
汚したり、濫用する全てのことです。
問 第三戒に加えられている理由は、なんですか。
答 第三戒に加えられている理由は、この戒めを破る者が、どんなに人々からの罰を免れても、
私達の神、主は、ご自身の正しい審判を免れさせはなさらない、と言うことです。
解説
第三戒は、主のみ名をみだりに唱えることの禁止です。神は民にご自身の名を知らせました。
「私はある。私はあるという者だ」 出エジプト3:14 ご自分の名を知らせるという事は、
他の存在しない偶像の神々と違って、正に生きて働いておられるご自身を知らせるためでした。
そして民と恵の契約を交わし、ご自身は民の神となり、そして「主の戒めを守り、その道に従って
歩むならば、主はお誓いになった通り、あなたを聖なる民とされる」 申28:9 民は宝の民と
される事が約束されたのであります。 しかし、当時は神の名をむやみに唱える事で、人間の
思いに、神を従わせようとする事がはやっており、そのように神の名を安易に用いる事を禁じられた
のです。神は、私達と正しく聖なる関係を築いてくださるために、ご自分の名を明らかにされたのですから、
いつも敬虔なる祈りをもって神のお名前を唱えなければならないのです。そして、神はいつも私達の
心の内を見抜いて居られますから、み名を唱える者はいつも、霊と真理をもって、神を礼拝しなければ
ならないのであります。そのようにしない者には、神は正しい審判をおこなわれるのであります。
2007年06月23日
ウェストミンスター小教理問答 問49〜52
答 第ニ戒はこれです。「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、
また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かって
ひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。私は主、あなたの神。私は熱情の神である。
私を否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、私を愛し、私の戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える」
問 第二戒では、何が求められていますか。
答 第二戒が求めている事は、神が御言葉の内に指定された通りの宗教的礼拝と規定の全てを、
受け入れ、実行し、純正完全に保つことです。
問 第二戒では、何が禁じられていますか。
答 第二戒が禁じている事は、像による神礼拝、または神の御言葉に指定されていないあらゆる
他の方法による神礼拝です。
問 第二戒に加えられている理由は、なんですか。
答 第二戒に加えられている理由は、神が私たちに君臨する主権者であられること、神が私たちの
所有者であられること、神がご自身への礼拝に熱心をもっておられることです。
解説
十戒の第二戒は偶像礼拝を禁じています。これは、他の神だけでなく聖書が示す神様ご自身を
偶像によって礼拝することをも禁じています。出エジプト記32:5にありますように、イスラエルの
民が金の子牛をもって神を祭った時に、神は怒りをもってその者たちを滅ぼされました。見えない
神を見える形をもって礼拝したいと言うのは、人間に起こる欲望でありますが、これは神に対する
侮辱であり、人間の神に近づきたいとする傲慢と高慢の表れです。私たちが、真に神に近づきた
のであれば、神が語られた御言葉に従って、神を敬い、神礼拝をなすことで、神との交わりの確か
さに入れていただければ良いのであります。人間側の高慢さから、その押し付けによって、その道
が開かれるのではありません。神の御言葉たるイエスキリスト十字架上の贖いにおいて、開かれ
るのであります。
「熱情の神(ねたむ神)」 とは擬人法による表現であり、人との交わりの確立のために、神は燃え
るような心を持って私たちに接していて下さる事を表現しています。それ故に、私たちは心からの
喜びと熱心を持って、神の御心に応えて行かねばなりません。
2007年06月18日
ウェストミンスター小教理問答 問45〜48
答 第一戒はこれです。「あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない」
問 第一戒では、何が求められていますか。
答 第一戒が私たちに求めていることは、神を唯一のまことの神また私たちの神として知り、
認めること、またそれにふさわしく神を礼拝し、神の栄光を表すことです。
問 第一戒では、何が禁じられていますか。
答 第一戒が禁じていることは、真の神を否定するか、神また私達の神として礼拝せず、
栄光を表さないこと、神だけにふさわしい礼拝と栄光を他の何ものにでもささげることです。
問 第一戒の「私のほかに」という言葉で、私たちは何を教えられていますか。
答 第一戒の「私のほかに」と言う言葉が私たちに教えることは、万事を見ておられる神が、
他のどんな神を持つ罪にも注目し、これを大いにきらわれる、ということです。
解説
道徳律法は十戒の中に要約されています。そしてこの戒めには積極的側面(求められていること)、
消極的側面 (禁じられていること)があります。
〇 ここでは唯一神信仰を求めています。それは、神を唯一の真の神として認め、私たちを造られ、
保持・統治されているお方として、認める。
〇 この神のみを礼拝する。
〇 この神以外を礼拝することを禁じる。
私達の人生は、唯一の神を信じるときに、秩序ある正しいものとなり、神のみを頼って生きることができます。
私たちが、財産や、富や、地位や、自己満足の中に生きるときに、それらは不確かな人生をもたらし、その
増減に揺れ動く人生となってしまいます。しかし、唯一の神、唯一の救い主、唯一の聖霊に頼るときに、
つまり三位一体の神を信じる時に、人生は確かなものとなり、真の心の平安と秩序がもたらされるので
あります。
2007年05月14日
ウェストミンスター小教理問答 問43〜44
問 十戒の序言は何ですか
答 十戒の序言は次の言葉にあります。
「私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」
問 十戒の序言は私たちに何を教えていますか。
答 十戒の序言が私たちに教えている事は、神が主、また私達の神でもあがない主でもあられるので、
私たちはそのすべての戒めを守る義務がある、ということです。
解説
道徳律法は、十戒の中に要約的に含まれており、エジプトの奴隷状態から救出されたイスラエルの民が、
シナイ山で神の民となるときに与えられた契約であり、民として生きる上での基本的な戒めです。
この序言は、律法を与える神の名乗りであります。そして次のことを言われています。
@ 神が主であること: ここで「主」と訳されている言葉は、固有名詞「ヤハウェー」です。
とくに歴史の中で、約束を忠実に果たして来られた神を表す名です。この神に私たちは真実に答え、
その約束を忠実に果たさねばなりません。
A 神が私たちのかみであること: 神は全世界の創造者であり、その全てを守り、保全されておられる
方です。そして、私たちの神となって下さり、何時も私たちと共に居て下さり、私たちを守って下さいます。
ですから私たちは、その歩みに相応しい者として、これらの道徳律法を守って生きていくのです。
B 神が私たちの救い主であること: 神はエジプトの地、奴隷の家から導き出してくださり、救い出して
下さいました。その感謝として、私たちは道徳律法を守るのです。
この序言は、私たちが救われた者として、感謝する者として、道徳律法を守るのであり、表面的な律法主義
を言っているのではありません。十戒は単なる命令でなく、私達が神に感謝するために自然の気持ちから
出るところの当たり前の行いであります。
2007年03月24日
ウェストミンスター小教理問答 問42
答 十戒の要約は、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主なる私達の神を愛する事、
又自分を愛するように、私達の隣人を愛する事です。
解説
道徳律法は十戒の中に要約的に含まれており、倫理の基礎が教えられています。倫理の基礎は
神への愛と人への愛です。どちらか一つでは片手落ちであり、二つを愛すればこそ私達は立派な
品性と人格を持つ者となるのであります。神への愛は、心を無にしてひたすら神を愛する事でありますが、
神はそれ以上に私達を憐れみ愛してくださっているのであります。隣人への愛は、当然自分さえ愛す事の
出来ないも者には成す事ができませんし、人の苦しみ、悲しみを理解する事の出来ない者は、人を愛する
事はできません。私達の罪の赦しは、イエスキリストの十字架の贖い以外には成す事ができません。
罪人が、人の罪を購うことができないのは当然です。罪なきお方のみその業を果たす事が出来るのです。
2007年03月23日
ウェストミンスター小教理問答 問41
答 道徳律法は、十戒の中に要約的に含まれています。
解説
神は人に悪を選ばず善を選ぶように命じられています。これを道徳的律法と言います。
この律法は人の心の中に刻まれており、どのような人も善悪を見分ける判断力は基本的に備わっています。
これを良心と言いますが、私達の先祖アダムが犯した罪故に、この良心が歪み悪を選択するようになって
しまいました。神は、今日この律法を聖書を通して教えて下さっており、聖書を読む事において日々この
律法を思い起こす事が出来るのであります。そして、この律法を通して私達は、道徳全体を知る事が出来る
のであります。その詳細については、ウェストミンスター大教理問答 問91〜152 をご覧下さい。
2007年03月22日
ウェストミンスター小教理問答 問40
答 神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法でした。
解説
神が人に求められる義務は二つです。
@ 道徳的義務(問40〜81)
A 信仰的義務(問82〜107)
道徳律法とは人にとって、何が善であり、何が悪であるかを指し示しています。
神は人を御自分の似姿として造られ、神様の御性質と同じような性向を持つものとされました。
しかしながら、最初の先祖であるアダムが罪を犯したことにより、人は善を選ぶ者でなく、悪を
選ぶ者となってしまったのです。しかし、神はその事を憐れみ、罪ある人を救うためにイエス様
をこの地上に送られ、十字架に架けられる事によって、イエス様を信じる者を永遠の罪の定め
ら救われ、罪無き者として宣言されたのです。でも弱い人は、思いや、言葉や、行いで罪を犯し
続けています。この人に対して、神は服従の基準として、道徳律法をお与えになりました。
私達は、この事を充分に心に留め、聖書を通して自分の罪を知り、永遠の救いに至る為の
イエス様の真理の道を歩んで行かねばなりません。己の罪を悔い改め、新しい心で、神に従う
道筋を知る為に、この道徳律法を知らねばなりません。
2007年01月25日
ウェストミンスター小教理問答 問39
答 神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです。
解説
神様に対する私達の義務は、二つです。
@ 道徳的義務(問41〜81)
A 信仰的義務(問85〜107)
人の義務は、「神の啓示された御意志に服従する」ことですが、この御意志は二つの意味が
あります。
@ 隠された御意志としての摂理
神は全て被造物を守り、保全して下さっております。それで、人の人生をも守り導いて
おられます。嬉しい時、楽しい時、悲しい時、苦しい時、辛い時、全てが神のご意志が
働いております。それらを信仰的に受け止め、祈り、感謝し、忍耐して行くことで、前向
きに生きていけるのであります。
A 啓示された御意志としての命令
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛する」「隣人を自分の様に愛する」
この二つが、イエス様から与えられた命令であります。これに服従することで、私達は
この地上に於ける歩みを全うすることが出来るのであります。
私達は、自分の将来に何が起こるか予見することは出来ません。ですから神を愛し、人を愛する
ことによって、神の御手の中で生きることを確信し、神の知恵に頼り、己を誇らず全てに対して、
謙虚に生きていく、これこそが信仰者としてのありかたなのです。神の御意志(命令)は聖書の
中に記されておりますので、読み、聴き、見て、信仰と生活の羅針盤として下さい。
2007年01月19日
ウェストミンスター小教理問答 問38
答 信者は、復活の時、栄光あるものによみがえらせられて、審判の日に、公に受け入れられ
無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます。
解説
聖書では信者が死んで神の国に入ることを終着点とはみておりません。救いの真の完成の時
とは、イエスキリストが再びこの世に来られて最後の裁きをされる時であります。この時は、
信者にとって、正に復活の時なのであります。そしてこの時には、キリストから多くの祝福が
頂けるのであります。
@ 栄光ある体として復活する。これはこの地上における苦しみや、悲しみや、絶望から解放
された体であります。
A 神から無罪を宣告されます。信者は、イエスキリストを信じ、洗礼にあずかり、聖なる者
として、罪が赦され、義しい者とされましたが、この世では完全に神様から与えられた、
戒めを守ることは出来ません。あくまでも不完全な者であります。しかし、最後の時に
それまでの信仰の確信に生きてきた事実に応じて、公的に無罪宣言が行なわれます。
B そして神と共に喜ぶ生活を送ったと認められた者には、完全な祝福が与えられます。
信者への完全な祝福とは、「神の栄光をあらわし、神を喜ぶこと」(問1)を達成した者が、
神から与えられる喜びであり、これは「神との交わりの中に生きる」事であります。こうして、
神の愛が完成し、永遠の命に至るのであります。信者は、日曜日の主の日の礼拝に
おいて、この喜びを地上で事前に味わっているのであります。
ウェストミンスター小教理問答 問37
答 信者の霊魂は、死の時、全くきよくされ、直ちに栄光にはいります。信者の体は、依然として
キリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます。
解説
個人の死は、残された者にとっては別離の悲しみの中におとされます。この事実は信者に
とっても同じことであります。死者を悼み、悲しみに沈むことは当然であります。でも信徒は、
死後の恐れや不安から救われており、悲しみの中にも慰めと希望が与えられています。
信者の死は、魂と肉体の別離であり、魂は全く聖くされ、神の御許にまいります。確かに、
信者とはいえこの世にあっては罪をおかし続けてしまう弱い者でありますが、神の憐れみと
赦しによって、神の御国に迎え入れられます。それ故に、信者はそれを信じていますから、
死にたいする恐怖を抱くのでなく、希望と祝福の中に生きているのであります。そして、
神の御国で御手に抱かれ、栄光の光に包まれるのであります。
肉体についてはイエスキリストが再臨されるまで、休息が与えられ、復活の希望の中で
イエスキリストに霊的に結び付けられたままで休み、イエスキリストが来られた時に、
これまでとは違った、全く新しい体として復活するのであります。
2006年12月30日
ウェストミンスター小教理問答 問36
答 この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれから流れ出る祝福とは、
神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終りまで恵みの内に
堅忍することです。
解説
イエスキリストを信じる者がこの世で受ける祝福は、義認(罪を赦され、義しい者とされ、神の
国へ入ることが赦される)、子とされる(神の子と認められる)、聖化(聖霊によって少しずつ
聖なる者へと、変えられていく)、これがその中心でしたが、これだけに限定されるばかりでなく
多くの祝福があります。
@ 神の愛の確信: 神は私達をただ一度義と認められ、子としてくださったので、父なる神の
愛を確信でき、どの様な境遇にあっても神の愛を確信できるのであります。
A 良心の平和: 神は私達をただ一度義と認めて下さったので、自分の良心が苦しむ時でも、
神が赦してくださったことを思い、良心の呵責に耐えることの出来る力を
与えて下さっています。
B 聖霊における喜び: 聖霊において神とイエスキリストに結び付けられている喜びであり
ます。どの様な悲しみも克服できる喜びであります。
C 恵みの増加: 日々聖霊によって、聖い者とされていく時に、心の目が開かれ、神を心から
讃美しようとする思いが強くなっていきます。そして、神と人とに対する愛が
増していきます。
D 終りの時まで忍耐する: イエスキリストが再臨されて、救いが完成する時まで、私達の
信仰は堅く守られ、どの様なことがあっても、イエスキリストから
その関係が切られることはありません。イエスキリストは全ての
信仰者に真の堅忍を与えていて下さいます。
2006年12月29日
ウェストミンスター小教理問答 問35
答 聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神の
かたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです。
解説
聖化とは神が信仰者を御自分の御旨に従って、聖いものにして下さると言う神の御業です。
人は、アダムの背反によって堕落してしまったので、神から与えられた良き性質を失って
しまいました。この人間としての素晴らしさを、聖書では神のかたちと表現しています。この
神のかたちとは次の三つから理解できます。
@ 真の知識: 神を知り、人生の目的とこの被造世界を正しく認識することの知識です。
人間は、科学的知識は進歩させて来ましたが、人生を正しく生きる本当の
知恵を失って来ました。
A 真の義: 善悪をよくわきまえ悪を選ばないとする義しさのことです。堕落後の人間は、
善をしようとする心があるにもかかわらず、悪を選ぶ者となったのです。
B 真の聖: 唯一の神を崇める宗教性を失ってしまいました。何となく神のようなものを
拝む宗教心はあるものの、その神がどの様な方なのか分かりません。
それで自分で木や石に神のようなものを刻み、あるいは太陽や月や木の
柱などを、神と思い拝むようになってしまいました。この様に宗教的に倒錯
した者として堕落してしまったのです。
聖化は、神が私達をそのかたちを回復する事ができるまで支え守って下さる業であり、
その神の似姿が回復する事が出来るまで、忍耐し待っていてくださいます。それは、私達が
イエスキリストと深く結び付いて居る事から可能となるのであります。
2006年12月21日
ウェストミンスター小教理問答 問34
答 子とされることも、神の一方的な恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子等
の数に入れられ、神の子等のあらゆる特権に権利を持つものとなるのです。
解説
信仰者がこの世で神様から受ける祝福は、義認、子とされること、聖化が中心でした。ここでは、
子とされることを学びます。
人間は本来神から造られたものですから、神の子ではありません。つまり創造者と被造物の
関係であります。また、人間は神との約束を破り、神に背き、神から離れて生活する者となった
のです。故に、神の裁きを恐れて生活しており、神を父と仰ぐ関係ではありません。しかし、
この事を憐れんで下さった神は、イエスキリストを信じる者を神の子として認めると宣言して
下さいました。そして神の子としての特権を与えて下さいました。
その特権とは、
@ 神の愛を確信できることです。世間でも多くの愛の形態がありますが、親子の愛は最も
安定しているものであります。それは失われる可能性が最も低いものです。子は、父母の
愛には無条件で応えられるものであります。
A 神の国を嗣ぐ者とされることで、神の国の特権を享受できるのです。
神の一方的な決定により、一度神の子とされた者は、当然神のご意志に従って生きる者となった
のですから、神は忍耐をもって私達が義しく聖く生きることに期待をもって見守っていて下さいます。
そして一度子として認めたからには、あの「放蕩息子」の譬えのように、何時までも子として
認めて下さっています。
2006年11月14日
ウェストミンスター小教理問答 問33
答 義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私達のすべての罪を
赦るし、私達を御前に正しいと受け入れて下さいます。それはただ、私達に転嫁され信仰
によってだけ受け取るキリストの義のゆえです。
解説
義認とは本来人間の死後に、つまりイエスキリストが再び地上に来られる時に立つ所の神の
法廷で、神様から無罪であると宣告される事を意味しております。そしてこの判決は最終判決
ですから変更はありえません。しかし、私達がイエスキリストを「信じます」と告白した時に、
この最終判決の先取りとして「あなたは義しい者である」と宣告され、無罪が確定するのです。
「義しい人」と認められる為には、罪を犯さないようにこの地上での信仰と生活を、唯一の規準
としての聖書に従って送らねばなりません。そして、神を愛し、隣人を愛さねばなりません。
またこの地上の生活で、時には、思いや、行いや、言葉で罪を犯してしまう私達がどうして、
罪が無い者とされるのでありましょうか。それは、イエスキリストの十字架上の身代わりの犠牲
において、罪を償ったと認められるからであり、人類の代表者としてイエスキリストが果たして
下さったからであります。そしてそのイエスキリストの義さが、「転嫁」されるのであります。
この義認の恵みは、信仰によって受け取れるのであり、私達は、イエスキリストに接木され、
この世でもイエスキリストと一体となって生きていけるので、最後の審判に対する恐怖も無く、
平安に、また忍耐をもって、この地上での生活を全うできるのであります。
2006年11月03日
ウェストミンスター小教理問答 問32
答 有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、
あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます。
解説
この世での祝福は次の四つです。
@ 義認: 神様が罪を赦され、正しい者として受け入れて下さいます。
A 子として下さいます: 神様の子として、神を父と称する事を許して下さいます。
B 聖化: 聖霊によって人間性が聖められ、だんだんと神様に喜ばれる者となっていきます。
C その他の祝福: 私達は忍耐して信仰を守り続ける事で、聖霊の働きにより、だんだんと
信仰の輝きが増して、平安、喜び、愛する事の中におかれ、神様・イエス様の御存在を
確信できるようになって行きます。
そして、義認・子とされること・聖化は、私達がこの世で幸せになる為の土台であり、それによっ
て堅き信仰告白の上に立って、私達は人生を過ごすのであります。最後の時に、イエス様が
この世に再臨され、真に正しい信仰生活を送った人々を、御国へと招いて下さるのです。
その事に希望と慰めと忍耐をもって信仰者は生きて行かねばなりません。
2006年10月24日
ウェストミンスター小教理 問31
答 有効召命とは、神の御霊の御業です。これによって御霊は、私達に自分の罪と悲惨と
を自覚させ、私達の心をキリストを知る知識に明るくし、私達の意思を新しくすると言う
仕方で、福音において一方的に提供されるイエスキリストを私達が受け入れるように
説得し、受け入れさせて下さるのです。
解説
私達は聖霊によって信仰を与えられ、信仰によってキリストに結び付けられる事によって
キリストの救いを与えられます。聖霊は必ず効果を伴うように私達を招かれております。
そして、信じるように招かれた人は、必ず救われるのです。この業が聖霊の働きです。
そして、私達が罪と悲惨について自覚するように、キリストについてに正しい知識を得られ
るように、そして私達を全く新しいイエスキリストの衣を着るようにと、して下さいます。
この三つの事を通して、聖霊は、私達が主イエスキリストを受け入れさせて下さるのです。
私達が自分の努力であるいは行いで信仰に至るのではなく、全く聖霊なる神様が私達の
心の中に働いて下さり、信仰する事が出来るように導いて下さるのです。
2006年10月14日
ウェストミンスター小教理問答 問30
答 御霊がキリストの手に入れたあがないを私達に当てはめて下さるのは、私達の中に信仰を
働かせ、それによって私達を有効召命においてキリストに結びつけることによってです。
解説
キリストの救いは、キリストが私達と結びついて下さる事によって与えられます。そしてキリスト
が得て下さった救いの祝福の中に入れられるのです。それは次の順序によってなされます。
@ キリストが十字架に架かって下さった事で、私達罪人があたかも十字架に架かり罪の償い
を果たした者であると神様から見なされ、罪無き身分の者として無罪を宣告されます。
A 神の御子であるキリストに結び付いた者として、神の子として認めて下さいます。
B キリストと結び付く事で、キリストの似姿に倣う者として、聖霊の働きによって日々聖なる者
としてこの地上において作り変えられていきます。そしてキリストが再び来られる時に、
完全に聖なる者とされるのであります。
私達がキリストと結び付く唯一の手段は、信仰です。この信仰は、聖霊の恵みにより与えら
れるものであり、人間側の条件によって成されるものではありません。聖霊なる神様のまねき
を受けた者は、確実に愛され、救われるのであります。
2006年10月04日
ウェストミンスター小教理問答 問29
答 キリストの手に入れたあがないが、私たちに分け与えられるのは、キリストの聖霊が
それを私たちに有効に当てはめて下さることによってです。
解説
ある教会では救いの惠を管理し、分け与えているのは教会であり洗礼や儀式において
人々に分け与えられると言っていますが、このような教えは聖書的ではありません。
聖書では信徒全員が神に近づくことの出来る者であると言っております。(1ペテロ2:9)
救いを分け与える聖職者と一般信徒とが分かれているのではありません。イエスキリスト
に結ばれることで私たちは、永遠の命を頂いているのであります。教会はそのようなキリ
ストと結ばれた者達が集っている所であり、夫々の信徒がキリストから惠を頂いているの
であり、教会がその役割を果たしているのではありません。その役割を果たしておられる
のは聖霊です。聖霊は私達の心を照らして下さって信仰に至らせ、キリストと結び合わせ
て下さっているのです。私達が、聖霊に導かれ祈る時に、信仰の思いが強められイエス
キリストに結ばれている事を確信できるのであります。
2006年10月02日
ウェストミンスター小教理問答 問28
答 キリストの高挙は、次の点にあります。キリストが三日目に死人の中からよみがえられた
こと、父なる神の右に座しておられること、終わりに日に世を裁くために来られることです。
解説
キリストは高挙の状態でも、聖霊を通して救い主のお働きをしておられます。キリストは十字架
に架かられ、死んで墓に葬られましたが、三日目に復活されました。そして、天に昇り、神の右
の座(権威の座)に就かれました。そして聖霊の働きによって、私達は神様を理解し、信じること
が出来るようになりました。そして私達が正しい者となるように何時も神様に執成しをして下さっ
ています。そしてイエスキリストが再びこの地上に来られる時には、正しい者、悪しき者を振るい
分けられ、正しい者を天の御国へ、悪しき者を永遠の滅びの中に投げ込まれます。正しい者は、
最早苦しみも、悲しみも、憂いも無く神様に涙を拭いとって頂き、永遠の命に預かる事となります
2006年09月23日
ウェストミンスター小教理問答 問27
答 キリストのへり下りは、次の点にありました。キリストが生まれられたこと、それも低い
状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架の
呪いの死とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まれたことです。
解説
地上でのキリストの生涯すべてが、神の子としての栄光を捨てたへりくだりの生涯でした。
@ 子なる神がその栄光を捨てられ人となられたことが、へりくだりそのものです。
A 馬小屋での誕生が、この世の中での最も低い誕生の仕方を表現しています。
B 神への徹底的な服従によって永遠の命を獲得するために、神の律法に服従されました。
キリストは、私達の罪人の代表者として十字架に至るまで、従順に神に従いました。
C キリストは人間の悲惨な状態味わい、それをよく知っておられました。
D 十字架上のキリストの叫びは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」
でありました。これは、私達罪人の身代わりとしてのキリストの苦しみと悲惨を表現して
います。
E 葬りと死の力のもとに留まれたのは、栄光の復活の時まで、しばらく忍耐の時を過ごされた
ことを表現しています。
こうして、キリストはこの世にあって、へり下りの状態で預言者・祭司・王としての役割を果たさ
れたのであります。
2006年09月07日
ウェストミンスター小教理問答 問26
答 キリストが王職を果たされるのは、私達をご自身に従わせ、治め、守って下さる事、
またご自身と私達をあらゆる敵を抑えて征服して下さる事においてです。
解説
旧約では、王は神の僕として民に尽くすのが職務でありました。国の秩序を保ち、敵から民を
守っておりました。新約時代はイエスキリストがダビデ王の家系から生まれて、王としての
職務を果たされました。それは地上の権力としての王ではなく、霊的王国の王としての役割
でありました。イエスキリストは私達をイエスキリストの体なる教会の一員として従わせて
下さいます。また教会を治めて下さいます。何時も教会を守って居て下さいます。そして、
教会に敵対する勢力から脅かされる事がないように、私達が挫折したり、危険な目に合わない
様に守っていて下さいます。私達がイエスキリストを信じるということは、この様に王たる
イエスキリストが私達と共にあり、守り、導いて下さる事を確信するという事であります。
ウェストミンスター小教理問答 問25
答 キリストが祭司職を果たされるのは、神の正義を満足させて私達を神に和解させる為に、
ご自身をいけにえとして唯一度だけささげられた事、また私達の為に執成し続けて下さる
事においてです。
解説
旧約の時代祭司は、神殿に仕え、犠牲を捧げて民の為に執成しをする事が職務でありました。
新約ではイエスキリストは大祭司としての役割を果たすために、ご自身をただ一度だけ、犠牲
の子羊として奉げて下さり神と和解をさせて下さいました。「神の正義の満足」とは、私達の
罪が赦される事で神の正義が損なわれず、むしろ貫かれる事を言い、イエスキリストが人間の
代表として罰を受けて下さった事で神が満足されたのであります。「神に和解させる為に」とは、
神と人との敵対関係が取り除かれ、神の怒りが解け、愛の交わりが回復し、人に永遠の命が
与えられるのであります。今イエスキリストは天上で神の右に座し、聖霊を通して私達の為に、
執成しをして下さり、祭司の役割を果たして下さっているのであります。
ウェストミンスター小教理問答 問24
答 キリストが預言者職を果たされるのは、ご自身の御言葉と御霊によって、私達の
救いのために神の御意志を私達に啓示して下さる事においてです。
解説
旧約時代預言者は、神の御心をイスラエルの民に伝える役割を果たしておりました。
新約時代になって、イエスキリストは神の一人子として、深く神のみ旨を私達に知らせて
下さいました。説教や奇跡や御言葉を通して神様の御心を示して下さいました。また、
神様のご計画に従って、十字架に架かって下さり、私達を罪なき者として下さいました。
今イエスキリストは、神の右に座しておられ、天上から聖霊を通して、神様の御心を伝えて
下さっておられます。そして私達の心の内を照らして下さり、神様の愛が理解できるように
して下さっています。私達は、自分の力だけでは神を知る事は出来ません。預言者としての
イエスキリストが啓示して下さらなければ、神を知る事が出来ないのです。
ウェストミンスター小教理問答 問23
答 キリストは、私達のあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へりくだりと
高挙とどちらの状態においても果たされます。
解説
旧約聖書の時代、預言者は神の御心を民に伝える役割を果たしておりました。そして民として、
生きる指針を示しておりました。イエスキリストは神の一人子として、神の御心を聖書を通して、
み言葉を通して伝えて下さいます。そして、十字架に架かる事で神の愛の御旨を示して下さい
ました。現在は神様の右の座から、聖書と聖霊を通して私達の心に働きかけられ、私達に、
イエスキリストを受け入れる信仰を起こして下さいます。私達は、自分の力では神様の愛を
真に知る事は出来ません。そこには預言者職を果たして下さるイエスキリストがおられるから
こそ、その事が理解できるのであり、イエスキリストを救い主として受け入れる事が出来るので
あります。
2006年08月28日
ウェストミンスター小教理問答 問22
答 神の御子キリストが人になられたのは、聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り、
彼女から生まれながらも、罪はないという仕方で、真実の体と理性的霊魂をおとりに
なる事によってでした。
解説
キリストは問21で学びましたように、真の神であり、真の人であり、そして一つの人格を
持っておられました。そして完全な人間となられ、真実の体と理性的霊魂(人間の魂)
をもっておられました。そしてキリストは罪の無いお方でありました。それは、アダム以来
全ての人は罪人ですが、キリストは罪の無い人となって、人間に救いをもたらされました。
また十字架に架かって人々の罪を負うためにもキリストは罪の無い方でなければなりま
せんでした。このように人間でありながら罪の無い人となれたのは、聖霊のお働きによる
ものでした。聖霊は、キリストが人となられる時に完全に働かれて、キリストの人間性を
罪から守られたのです。処女から生まれたことは、聖霊による奇跡でありましたが、
聖霊によって生まれたからこそ、キリストは聖い方であり、罪の無いお方であったのです。
2006年08月25日
ウェストミンスター小教理問答 問21
答 神の選民の唯一のあがない主は、主イエスキリストです。この方は、神の永遠の
御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つに区別された
性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます。
解説
イエスキリストは神という御性質と人という御性質の二つを持っておられます。
神としてイエスキリストは、存在、知恵、力、聖、義、善、真実において永遠、無限、不変
のお方です。人としてのイエスキリストは、人間としての色々な弱さ、たとえば、疲れる、
悲しむ、悩む、飢える、渇くなどの弱さを持っておられました。しかし、イエスキリストは、
神として人として統一された人格を持っておられました。ですから、救い主としてのイエス
キリストは真の神であり、真の人であったのです。それ故に、人類の代表者となって
人々の罪を背負い十字架上で死んで下さったのです。また真の神であったからこそ
人の罪への刑罰である所の十字架上の死を受ける事がお出来になったのです。こうして
十字架上のイエスキリストの死と復活を信じる者全てが救われる事となったのです。
2006年08月14日
ウェストミンスター小教理問答 問20
答 神は、全くの御好意によって、永遠の昔から、ある人々を永遠の命に選んでおられたので、
彼らと惠の契約を結ばれました。それは、一人のあがない主によって、彼らを罪と悲惨の
状態から救助して、救いの状態に入れるためです。
解説
ここでは神の救いのご計画の中心である「惠の契約」について教えております。神が
人と最初に結ばれた契約は 「行いの契約」(業の契約)でした。問12 その内容は、
人の義務は、神への完全な服従であり、それを守れば神は永遠の命を約束して下さい
ました。しかし、それを破れば刑罰として永遠の死を定められたのです。ですから、罪を犯す
者は罪と悲惨の状態に落とされたのです。しかし、神はその事を憐れみ人を救うために、
惠の契約を結んで下さいました。その為には、人はあがない主であるイエスキリストを信じる
ように、イエスキリストは人の罪を救うために人の身代わりとして、十字架において、人に
代わって刑罰を受けてくださる事、そして完全な服従を人に代わって果たされる事を、
約束して下さり、事実それを果たされました。これによって永遠の昔から、神が救いに
予定していた人々が救われる事になったのであります。
2006年08月12日
ウェストミンスター小教理問答 問19
答 全人類は、堕落によって神との交わりを失いました。今は神の怒りと呪いの下にあり、
その為、この世でのあらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わさ
れています。
解説
堕落の結果、人類は罪と悲惨の状態に堕ちました。それは、神との交わりを絶たれる事、
神の怒りと呪いの下にある事、この世の悲惨を味わう事、永遠の刑罰としての死を味わう
事などであります。ところが、神様はこの事を憐れまれ、その一人子をこの地上に送って
くださり、イエスキリストを信じるものが一人も滅びないようにして下さったのです。
イエスキリストの十字架は、私たちと神様との和解を実現して下さり、神様の怒りと呪い
を身代わりとなって受けて下さり、私達を無罪として下さったのです。このように、罪から
解放され自由になった私たちですが、いまだ残存する罪ゆえに、思いや、行いや、言葉で
罪を犯してしまう弱い者です。それでイエス様は聖霊を通して、私達を日々聖い者となる
為に、働いて下さっております。
2006年08月04日
ウェストミンスター小教理問答 問18
答 人が堕落した状態の罪性は、次の点にあります。すなわち、アダムの最初の罪の
罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる
原罪があること、そこからあらゆる現行罪が生じていることです。
解説
私達が罪人であると言うときに、次のような側面があります。それは最初の人アダムは
人類の代表として神様のご命令に背きました。それでその子孫たる私達は、アダムの
背きの責任を連帯して負う者となったのであります。そして、創造された時の「神の似姿」
を失う者となり、神様の知識・義・聖などの性質を喪失致しました。神様と世界を正しく悟
る事も出来なくなり、善を行なうより悪を好む者となり、偶像を崇拝する者となりました。
このように創造された時には、素晴らしさを持ち、神様から「はなはだ良きもの」としての
性質から罪に堕ちた事で、思いと、行いと、言葉で罪を犯し続ける者となりました。
しかし、神様はその事を悲しみ、憐れみ、私達が果たすべき罪の刑罰を、愛する一人子
イエスキリストの十字架において赦して下さったのです。イエスキリストにおいて、私達
は、罪を犯すことの無い身分としていただき、新しい衣を着た者として、罪・罪責を克服する
者として、新しく生まれ変わらせて下さったのです。
2006年07月31日
ウェストミンスター小教理問答 問17
答 堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落としました。
解説
堕落の結果は、人類を罪と悲惨の状態に落としました。私達はこの現実から救われなければ
ならないのです。これに関して世の多くの宗教は、現世的なごりやくを約束しますが、人は悲
惨からだけでなく、罪からも救われねばなりません。この罪からの救いがなければ、悲惨から
の解放はないのであります。貧しさ、病気、家庭的不和、人間関係、自己嫌悪これらの原因は
自分の心の中に潜む罪がなさせる業です。罪は神様の愛を見失い、神様から離れたところに
自らをおくことから生じるものであります。ですから神様との関係を正常なものに戻す事におい
て、神様は人を義しいものと認めてくださるのです。その間に立って、執成しをして下さる方が
イエスキリストであり、私達の救い主であられるのです。
2006年07月24日
ウェストミンスター小教理問答 問16
答 あの契約がアダムと結ばれたのは、彼自身のためだけでなく、子孫のためでもありました。
それで、普通の生まれ方でアダムから出る人類は、彼の最初の違反において、彼にあって
罪を犯し、彼と共に堕落したのです。
解説
最初の人アダムの罪が全人類を堕落させました。それは遺伝のためということでなく、神様と
のお約束は全人類を代表していたアダムがそれを破った事によって、全人類が堕落したと言う
事です。その約束(契約)は、神様に従って生きるという契約であり、業の契約と言われていま
す。そのしるしは、禁じられた木の実を食べない事でありました。こうして、アダムが代表する全
人類が、神様に背く者となり、霊的な健康状態から堕落してしまったのです。こうして全人類は
神様に対して、連帯責任を負う者となったのであります。「普通の生まれ方」という表現は、聖
霊によって乙女マリアからお生まれになったイエスキリストを除く人々を指しています。
2006年07月13日
ウェストミンスター小教理問答 問15
答 私達の最初の先祖達を、創造された状態から堕落させた罪とは、
彼等が禁断の木の実を食べた事でした。
解説
罪とは神様のご命令に背くことです。最初の先祖であるアダムは、神様が”してはいけない”
と命じられた事を行なってしまったことです。この禁じられた木の実とは、「善悪を知る木の実」
と言われています。これは食べると人を利口にする木の実ではありません。この木の実を食べ
ると賢くなると言ったのは蛇の誘惑の言葉であり、神様の言葉ではありません。人は、木の実を
食べない事で、善を選び、悪を避けることを神様から示されていたのですが、サタンの誘惑に
負けてしまったのです。同時にこの木の実は、神様との契約の象徴でもあり、神様を愛し、
神様に従うことをこのような見える形で、アダムに示されたのです。つまり、食べたから罪に
堕ちた、と言う事でなく食べる事によって、神様の愛に背を向け、神様から隠れて生きていく事を
選んでしまったのです。そしてはなはだ良く神様の似姿に造られた人間が、神様との交わりを
絶たれ、罪の中に死ぬ者となったのであります。
2006年06月30日
ウェストミンスター小教理問答 問14
答 罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは、
神の律法にそむくことです。
聖書によれば、罪とは、神の律法(人が生きるべき在り方についての神の定め)に
従わないことです。この神の命令は最初に人間が造られた時に、人の心に刻まれ
ましたが(良心として)、人は禁じられた木の実を食べて堕落したために、この律法
が分からなくなってしまいました。神は、聖書を通してもう一度私達にこの律法を明
示されており、その中心点は、神と人へ愛を行使することであります。また、律法に
従わない事は、禁じられていること(殺人、盗み、姦淫)や、命じられていること(父母
を敬う、兄弟姉妹を愛する、隣人愛)などを行なわない事も含まれます。
2006年06月23日
ウェストミンスター小教理問答 問13
答 自分の意志の自由に任されていた私達の最初の先祖達は、神に罪を犯す事によって、
創造された状態から堕落しました。
解説
ここでは最初の人であったアダムの堕落を教えています。人間には悪い心、犯罪を犯してしまう
弱い心があります。神様は御自分の姿に似せて人を造られ、掟を与えられましたが、人は
それを破ってしまい、原罪を持つものとなり、罪と悲惨の中に落ち込んだのです。この責任は
人にあります。人は、自分の責任で決断したのでありますから、神様にその責任はありません。
「意志の自由」は、神と人との交わりに不可欠なものです。神は、人間をロボットとして造られた
のでなく、自分の決断において神に従うか、、そうでないかを決める事が出来る様に造られたの
です。つまり、神に従わないと決めたのであります。ここから、人間社会における多くの罪の出
発点となったのであります。
2006年06月14日
ウェストミンスター小教理問答 問12
答 人を創造された時、神は人に、完全な服従を条件として命を契約されました。
しかし、善悪を知る木の実を食べる事は、死を制裁として禁じられました。
解説
問12では、神と人間の間の最初の契約について教えています。”契約”とは、
お互いの当事者どうしで義務を負いあう関係に入る事であり、神は人間の創造者
として、人との関係に入って下さいました。そして、この契約を「行いの契約」「命の
契約」とよんでいます。そして、人の義務は神に完全に従うこと、神の義務はそれ
が守られれば人に永遠の命を与えることでありました。そしてもし人がその契約を
守らない時には、死をもって罰せられる事を約束したのであります。そして、神に
従う事で祝福と平安が与えられ、従わなければ神から罰せられるのです。
後に、神はこの契約を破って死ぬ事となった人を憐れまれ、神の独り子をこの
世に送られたのです。
2006年06月06日
ウェストミンスター小教理問答 問11
答 神の摂理のみ業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、全ての被造物と
そのあらゆる動きを保ち、治めておられることです。
解説
神は創造と摂理によって全ての神のご計画を実現されます。摂理とは神様のご計画と
その目的に従い、世界の全てを導き、保ち、支え、治められる神様の継続的な、お働き
です。そして、この摂理は「保持」「統治」に分類できます。前者は、神様が何の材料も
用いず、この世を創造されました。これを、保ち支え続けておられます。後者は、神様
は、この世界と被造物を支配され、世に起こること全てを導いておられます。そして、
神様はお一人でご支配されているのです。そして神様のご性質である、きよさ、賢さ、
力強さがそこにあらわされているのであります。確かにこの世では、戦乱があったり、
飢餓があったり、環境破壊があったりしてこれさえも神様のなされる事かと疑問を持つ
ことがあるでしょう。しかし、私達はそれさえもが私達を悔い改めに至らせる神様のみ心
と信じるからこそ、努力し、忍耐し、希望をもって生きて行くのであります。
2006年05月29日
ウェストミンスター小教理問答 問10
答 神は人を、男性と女性とに、知識と義と聖においてご自身のかたちにしたがって
創造し、被造物の支配を託されました。
解説
聖書は、人間の創造について詳細に科学的に描くことが、その目的ではありません。むしろ、
創造の記事によって、人間とは何かについて根本的に教えています。
人間は先ず、神のかたちに造られた尊い存在です。人がもし単なる動物であっ
